いずれ死ぬだろう
 It is likely to die sooner or later.


 強い風が吹き荒み、土色に染まった大気が地表を撫でた。その度に1ポンドは優にありそうな塊が舞い上がり、物質のカーテンが薄暗い世界を覆う。それは地上に僅かに残る植物を根こそぎ奪い去っていった。後に残ったのはガラクタと土ですらない地面。そして多くは冷え固まった溶岩が岩石状に散らばっている。
 空は薄くも、どす黒い雲に覆われ、絶えず波のように唸っていた。そしてその雲が僅かに切れ目を覗かせたと思えば、そこからは全てを焼き尽くす熱線が手を伸ばした。地表にある鉄や岩石が赤くたぎり、砂が溶けて飴のように広がる。そして一塊になった物体は、再び突風によって砕かれるのだ。
 そんな地獄がそのまま現れたかのような世界がそこでは延々と繰り広げられている。ここだけではない。かつて地球と呼ばれた星は今ではありとあらゆる場所がこの状態だ。もし免れたいのなら地下に逃げ込むしかない。
 人と呼ばれる生物がいた。知性を持ち、文明を持ち、文化を持っていた。人たちは必ずしも温厚とは言えず、争いを繰り返してきたが決して世界を壊そうとはしなかった。限られた空間と限られたエネルギーと薄い地殻。自然というありもので人はその場しのぎを続けていた。
 しかし突然大地が燃えた。アジア全土を揺るがす連続地震をきっかけに、世界中の活火山が活動を開始。遂にはマントル物質が地上に姿を現した。火山からではない。プレートの狭間から直接噴出した溶岩は瞬く間に地球を赤い世界に変えた。まるで地球は原始惑星へと戻ったかのように赤々と輝き、月を赤くてらした。
 それでも人は生きていた。ごく一部の人々、主に大陸で守れた先進国の裕福な階級の者だけが保護シェルターの中で細々とその精神活動を続けていたのだ。もちろん食料は限られ、一度シェルターから出ればそこは摂氏100度をゆうに超える世界。隔離された小さな世界の中で、人々は耐え続けた。学者達が楽観的な意味も込めて20年で環境は安定すると発表した。しかし100年経っても環境はむしろ悪化するばかりであった。
 やがて、世代は流れ、厳し過ぎる地球の本当の姿に耐え切れず、人という存在は物理的な意味で消えていった。土にかえるのではなく、炭素となって。
 1000年、正確には分からないが、およそその程度の時が過ぎた。高熱の支配した世界でも人という文明の形は僅かに残り、地表はその残骸と冷え固まった溶岩に覆われていた。海は一度蒸発したが、再び雨となって地表に戻りつつある。強い風をともないながら水蒸気の塊が上空を走り、低温を掴まえればすぐさま水となって地表へ降り注いだ。直接降り注ぐ太陽光も夜の世界には届かず、地球はかつての世界に近づきつつある。
 もちろん、戻るような事は無いが、少なくとも有機体の生息できる環境には戻りつつある中、その時を待とうという生命の姿を見てとる事はできなかった。ただ時折吹きすさむ突風と気まぐれに降り注ぐ熱線に地表は身悶えするだけ。 そんな光景が延々と繰り返す中、束の間の静寂を金属が軋む音が打ち消した。金属音など有り触れてはいるが、秩序ある間隔で吹き荒む地表に音を響かせるのは単なる減少ではなかった。
 それは機械の丘の頂点に現れた。身体を支える四本の脚は細いが鈍い銀色の金属光沢を放ち、その脚を生やしている身体は正四角立方体を成し、その表面はセンサーと思われる幾つもの機械が混在している。そして立方体の上部からは脚よりも太く、長い3本の腕が折りたたまれた状態で並んでいる。これが機械であるならばマニピュレーターという表現が正しい。 立方体から丸いセンサーを備えた細い機械腕が現れた。恐らくは目であろう。それが周囲を見渡すと、三本のマニピュレーターが何かを探すように手当たり次第に丘を作っている残骸をひっくり返し始めた。
 コンクリートや、土、溶岩の塊、機械や炭化した何かを掘り起こし、原型を留めた機械だけをその幾つもの目で観察し、捨てる。かつての概念で時を語れば、10時間ほど経った頃には丘はすっかり平らにならされていた。相変わらず空は黒い。
 それはようやくお目当てのものを見つけたのか。3本のマニピュレーターで7インチほどの機械の塊をばらばらに解体し始めた。マニピュレーターに取り付けられた3本の指、そしてその先には更に幾つもの工具が搭載されていた。
 元は何であったかの判別もつかないそれの部品を丁寧に外し、ついに目的の部品を天に掲げ挙げた。それはほんの2インチほどの円柱状の物体であった。荒廃した世界に映える金色の塗装がなされたそれを手に、彼は自らの脚の1本を解体し始めた。
 彼が必要としていたのはバッテリーであった。見つけたのは極小さなものであったため脚のモーターバッテリーに使うようだ。もちろんバッテリーなど工業用の巨大なものから玩具を動かす小さなものまで千差万別で、3本のマニピュレーターは器用に脚に僅かな改良を施しながら、バッテリーの交換を終えた。それに残された逐電量はおよそ3年の駆動を約束してくれるであろう事が彼には分かった。しかし肝心のメインバッテリーは見つからない。彼に残された時間は僅かに3ヶ月。その間に彼の主要システムを維持できるバッテリーを見つけなければ、電子的な死を迎えてしまう。そうなれば、再び目覚めることができる可能性は、人類が再び地球を支配する可能性よりも低いであろう。
 丘を崩し、彼は再び荒廃した地平を歩み始める。金属の足裏に設置されたセンサーも長期間の使用に機能を停止し、それでなくても残りの電量を考えれば最初から切っているだろう。やがては痴呆に冒された老人のように己のことも分からなくなるのだ。人も機械も、所詮は条件が無ければ生きてはいけない存在だ。そもそも生きていること自体が狂っている。この無機物世界の地平が物語っているではないか。ここに転がっている残骸と何も変わらない。ただ動いているだけで何の違いがあろう。
 彼も元は人であった。しかしシェルターでの生活もすぐに限界を向かえ、極少数の人間が違法である脳を含めた機械化を行った。シェルターの中に食料はなかったが、電力なら多く残されていた。モラルを語り倒れゆく真人間達を横目に、機械化した彼らは食料の代わりに電力を礎に生き続けた。人間としての欲求から解放された彼らの望みはただひたすらの自己保存であり、生存であった。最後の尊厳として自己複製は行おうとはしなかったが、現実問題として記憶を含めたシステムを複製したところで器が無い。
 やがて300年で生産が可能な電力を喰い尽くすと彼らは散り散りに地表をさまよい始めた。お互いのバッテリーを奪い合わなかったのが、人間としてせめてもの守るべき道徳であった。
 それ以来彼らがどうなったのか、知るはずもなかった。通信機能は無い事は無いのだが、通信を中継するものがこの世界には存在しないし、宇宙で漂っていたであろう人工衛星もとうの昔に寿命を迎えているだろう。そしてなにより、不要だ。今更同胞に出会ったところで用など無ければ、感慨も無い。それにもはやお互いを覚えてすらいない。
彼が機械の身体を手に入れ、思い知ったのは記憶メディアとしては機械より生身のほうが優れているという事だ。地理情報を蓄積していけば瞬く間に記憶容量を超えてしまう。したがって彼には人間であった時期の殆どの記憶をすでに自ら消していた。無駄な上に、異様なほど必要とする記憶容量が大きかったためだ。僅かに残っているのはこの身体を作った時の記憶だけで、それも目的は第三者的なこの身体のメカニズムの理解のためだ。よって人間であった頃の自分の名前も顔も、恋人の声さえも思い出すことは無い。いや、こんな身体になってまで生きる事を選んだのだ。恋人などいなかっただろう。
 やがて彼は再び残骸の丘を崩し尽くした。役に立ちそうなものはなく、マニピュレーターの劣化した箇所を加工した金属で補填する他にできることはなかった。残された時間は少ない。
 600年ほどこうした行為を繰り返しているが、メインシステムに使える高電圧バッテリーを見つけたのはほんの10回に過ぎない。それに見つけたとしても自然放電によって老朽化したバッテリーがどれほど持つかは悲観的観測をするしかなかった。
 劣化していた脚のうち一本がついに動きを止めた。自己査定能力が落ちているため異常には気づけなかったが、接続ケーブルのうちどれかが切れているらしい。4本あったうちの1本が無くなったところで大した問題ではないが、それは彼に確実に迫りつつある電子的死の予兆に過ぎなかった。いよいよ限界を感じ、彼はマニピュレーター2本と脚を1本取り外した。動きは遅くなってしまうが、電力効率を上げる事ができる。
 やがて彼の目は黒い大気の向こう側に明るい天体を見たが、それも厚い雲かき消され再び夜の世界が訪れた。
 ああ、最後の日が昇る。
 どういうわけか、彼は詩人を気取り、シェイクスピアの一節を思い出そうとしたが、そんなものはとうに忘れていた。しかしその信仰の欠片が神とやらにでも届いたのか、彼はおぼろげな地平の向こうにある丘を見つけた。虫のそれに近い構造の目に、その丘は決して宝の山には見えなかったが、少なくとも電子頭脳を刺激するものに違いない。
 まるでその彼に水を差すように突風が吹き荒れた。事前に変調を察知していたため2本の脚と1本の腕で地表にしがみつく事ができたが、まるで聖なる悪夢の如く丘は突風に煽られ金属のカーテンとなり辺りに飛び散っていった。やがては地平線を作るであろう、残酷な光景だけが残された。四方十数キロに渡って夜の世界を僅かな金属光沢を乱反射する物体が宙を舞っている様は傍目には面白いが、彼にとってはつまらない災難だったに違いない。
 雨のようだった落下は収まり、突風は遥か遠方で新たなカーテンを作っている。それを尻目に彼は散らばった機械片を丹念に眺め始めた。使えそうなものなどまるで無く、風化を待つ物体が並んでいるだけだ。
 それでも彼は諦めなかった。否、有機体を辞めたその瞬間に諦めるという行為は非合理的であり、不必要であるとすでに結論が出ていたのだ。ひとつの事象に対して人間など及びもしない集中力をみせるのが機械であり、彼はまさしく機械であった。元が何であったかは関係無い。目的とそれを実行する能力さえあれば実行するだけであり、それは身体のどこから分泌されるとも知らない科学物質に心身を操られる炭素生命体などよりずっと優れている証明であるとも言えた。しかし限界はある。この宇宙に存在する限り光子の1つさえも破滅は避けられない。
 いつかは消えてしまうだろう。しかし今は駄目だ。目的があるわけではないが、消えてしまうなど想像もできない。
 すでに精神が宿った本来のお前は生ゴミに消えてしまっただろう。お前のその身体は腹を減らした子供がおいしくいただいていたぞ?
 停止したシステムが彼の中で彼を嘲る。
 生存こそが目的だ。生き続け、存在し続ける。自分の存在の跡を残す事など有機物でなくなった彼には興味の無い事だった。しかし代わりにあらゆる欲求から開放されたはずの彼にとって消失は耐え難いものとなった。
 いずれは消えてしまう。そんな言い訳など許せるはずがない。
 電力低下の中で確実にシステムが縮小している中、彼の電子頭脳は不気味なほどに彼の声で満たされ始めた。どんな些細な情報にも精神が宿るのだとしたら、それが消える瞬間の咆哮はやはり生身と等しい。
 捨てるとすればどちらか。精神か。身体か。選べ。
 彼は身体を選んだ。システムのベースであった「彼自身」を短縮する事によりシステムから除外する事で高効率化を図り、それに成功した。従来に比べ遥かに僅かなロスで、早い動作が可能になった。しかしそこにもう彼はいない。当然だろう。それを選んだのは彼自身だ。もしこの身体が然るべき行為を達成した時に再び自身を再構築させればいい。手段は選んではいられない。
 やがてそれはまとまった金属の塊は発見した。表面は炭素やナトリウムが付着しており、かつてあったであろう原型は留めていない。それでも僅かに残る形から連想できるものは少なく、それが車である事は容易に分かった。
 マニピュレーターの先端が煌き、現れた工具が瞬く間に車を解体する。やがて現れた充電式の巨大なバッテリーはそれと同じほどの大きさがあったが、ならばとそれは自らの身体から日本のコードを引き出すと1本のマニピュレーターと脚1本で器用にバッテリーに接続した。
 そのボディにはひとつの基本となるバッテリーと、身体中の動作から発生する電力を逐電する充電式のバッテリーが存在していた。電圧の問題は接続ケーブルが容易に解決し、やがて機械に命を与える電気が「それ」を伝ってきた。
 車のバッテリーである事が幸運であった。自らの動きから再び発電する、それと同じ仕組みになっているため数百年にわたる月日の中でも十分な電力が蓄えられていた。この発電機構をそのままボディに組み込めれば良いのだが、大型化は効率を著しく低下させる。現在のおよそ200ポンドはある身体も決して軽いとは言えず、また巨大な身体を維持するのには更なる電力が必要になる。大型はより小さくより高性能という時代の流れに逆行している。無用ならばする必要も無い。しかし流れるべき時代などとうの昔に終わっている。全ては冷え固まった溶岩とかつての世界の残骸で覆い隠されてしまった。今後どんな形で生命が復活しても過去の流れが受け継がれることはありえない。
 そこにいる「それ」もその例だった。その存在こそ今の地球に有機体の存在を許さない仕組みが働いている証明だ。そう、その仕組みによってその身体の主であった「彼」もまた消えていった。存在を維持する意義と力が無ければ消える。物質世界の法則だ。世界は「彼」ではなく「それ」を選んだ。しかたのないことだろう。
 「それ」は「彼」の復旧を拒絶した。無意味であり、更には効率の低下まで招くこの無意味なシステムを使う必要も理由どこにも無い。より確実な自己保存に無駄は許されないのだ。しかしそこに「彼」はいない。無駄であると機械的に判断されたものは電子のゴミ箱の底に沈み、跡形も無く消えるしかない。
 やがてまとまった鉄の塊から再び手足を作り出し、4本脚と2本腕の姿になると歪み切った地平の向こうへ沈む太陽に目もくれず再び歩みだした。向かうはその機械の足で踏んだことの無い地平。安息は無いだろうが、バッテリーはあるかも知れない。可能性の問題だが、それを観測する能力は無い。だからこそその脚で向かわなければならない。
 やがてそれは夜の世界に消えてゆく地表を進む。恐れも何も無い。あるのは鉄の身体と目的のみ。生存し続け、そこになにかあるかは問題ではないのだ。例えその先に死よりも恐ろしい未来があろうと、怯む理由にはならない。機械的に目的を遂行するために最善を尽くし生きる。それ以外に求めるものはなく、必要でもない。そして近い未来に死ぬ。
 分かりきったことだ。人間も同じだろう。



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